プロローグ

 世界は狂っている。

 世間がどう考えていようと、それが彼の意見だった。

 科学が発展し、快適で平和な世の中。

 その裏に潜む「見せたくない何か」を必死で隠す政治家達。

 彼らは皆言う。

 「見えないモノがある方が幸せ」だと。

 そうかもしれない。

 だが、「見えない」側の人間にしてみれば迷惑な話だ。

 全てを否定されているようなものなのだから。

 完全隔離地区。

 通称・CAGE。

 生きることを否定された者達が巣くう街―――。

 そこに光をとどけられるのはもう彼女しかいない。

 彼女に頼るしかないのだ。

 

「総理。そろそろ会議の時間です」

 扉ごしに聞こえる秘書の声に、彼は顔を上げた。

「ああ、わかった。すぐ行くよ」

 答えてから重い溜息をつく。

「……碧音……」

 彼はなかば祈るような気持ちで妹の名をつぶやいた。

   * * *

 背中の荷物は重かった。

 だが足取りは軽い。

 鼻歌などうたいながら歩を進める。

 人気のない暗い道。

 野犬が食い散らかしたと思われる生ゴミがそこらじゅうに散らばり、異臭を漂わせて

いる。

 このような空間には彼女はいささか不釣り合いだった。

「わんっわんっ!!」

「あら?」

 犬の鳴き声に彼女は振り返る。

「ヴ〜〜〜っ」

 茶色い犬が姿勢を低くしていた。

 もしかしたら元は白い犬だったのかもしれないが。

「かわいい〜」

 彼女はしゃがみこみ、犬をなでようと手を伸ばす。

 が―――

「っ」

 鋭い歯が指に食い込み、彼女は一瞬顔をしかめた。

 犬は殺気だった瞳で彼女をにらみつけている。

 それとは対照的に彼女は微笑んだ。

「……こわいですか?」

「グルルル…」

「私は大丈夫ですよ」

「――っ」

 犬はほんの少しだけ顔を歪めると、どこかへと走り去っていった。

 立ち上がる彼女。

 赤い雫が地面に落ちる。

 だがそれもすぐに止まった。

 ポケットからハンカチを取りだし、手の血をふきとる。

「このハンカチ、けっこうお気に入りだったんだけど……」

 彼女は息をつくと歩き出した。

 血がふきとられた手には、犬の歯型はついていなかった。

   * * *

 空を見上げる。

 この空だけは以前から何も変わらない。

 ”外”の世界とつながる青―――。

 彼は息を吸い込んだ。

「光先(ひさき)〜っ。光先、どこだ?」

 大音量で仲間の名を呼ぶ。

 すぐに木の上から一人の少年が降ってきた。

「何だよ、大和(やまと)」

 大和は黒髪の少年――光先に笑いかけた。

「いや……実は知らせることがあってね。みんなは?」

「昼飯の調達にいってる」

「そう」

「知らせることって何だよ?」

 はっきりと意志の強さが見て取れる瞳が大和を見つめた。

「怒らないできいてくれる?」

「場合による」

「あ、そう」

 確実に怒るだろうなと思いつつ、大和は口を開いた。

「実は少し前に直接、総理大臣御本人から連絡が来てね。

 人員を一人、こちらに派遣してくるそうだよ」

「な……っ。」

 それって”外”の人間がここに来るってことか!?」

「う〜ん、まぁ……」

 光先は大和の胸ぐらを掴みあげる。

「冗談じゃねぇっ!”外”のクズ人間が今更何しに来るってんだよ!?」

「僕にきかれても……」

「フンっ」

 光先は大和の体を乱暴に突き放し、背を向けた。

「光先、もめごとはおこすなよ」

「知るかっ」

 吐き捨て、光先はそのまま振り向かなかった。

 大和は息をつき、一週間前の彼――現総理大臣・如月碧斗の言葉を思い出す。

 

『都合がいい話だということは承知している。

 何を今更と君達は言うだろう。だが、大和。分かってほしい。

 俺は君達を救いたいんだ。』

 

「救う……か。」

 大和の声が風に乗る。

 救い。

 そんなもの、今となっては必要ないけれど。

 そんなものがあるとは思えないけれど。

 それでも、救えるものなら救ってほしいものだ。

 あの子達に、本当の笑顔が戻るならそれにこしたことはない。

 だが……

「僕達の心は鋼なみにかたいよ。碧斗」



■「SpringWind」内「ひかりそら」プロローグの微妙に改訂版です。 主人公は総理大臣(え)の妹。
少しここで解説じみたことを。

完全隔離地区(CAGE)が完成し、全国的な”変異体狩り”が行われたのは15年前のこと。
何人もの変異体が一箇所に閉じ込められた。
変異体とは、ごくたまに生まれてしまう普通の人間と違った性質を持つ人間のこと。
原因は100年前に行われた核実験の後遺症だといわれている。
彼らに対する人々の迫害は年を重ねるごとにエスカレートしていった。
全ての者が彼らを人間として見ていなかった。

そこで立ちあがったのが如月碧斗。
総理大臣までのぼりつめた彼は、変異体達を「外」に復帰させる為の計画を持ち出しました。
しかし、迫害されてきた変異体の者達がそう簡単に外に出てきてくれるはずがありません。
碧斗は妹の碧音をCAGEに送りこむことにします。
彼等の心を開かせる為に―――


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